出雲大社の回り方とルート完全版!一の鳥居から境内の末社まで徹底解説

出雲大社神楽殿(イメージ)

島根県出雲市に鎮座する出雲大社へ参拝する計画を立てている際、広大な境内を効率よく、かつ正しいマナーで巡るための「出雲大社の回り方」や「ルート」について詳しく知りたいと考える方は非常に多いことでしょう。

表参道の起点となる巨大な宇迦橋の大鳥居から始まり、神聖な空気が漂う4つの鳥居をくぐり抜け、拝殿や本殿、そして荘厳な八足門などを巡る参拝ルートには、事前に知っておくとより深く楽しめる歴史的背景や、見逃せない豆知識がたくさん詰まっています。

この記事では、国宝である本殿を囲む摂社や末社まで含めた詳細な参拝順路や、それぞれのスポットに秘められた由緒、見どころを管理人が撮影した写真を見ながら余すところなくご紹介します。

神々が集う出雲の地で、良縁を願う旅の参考になれば幸いです。

この記事でわかること
  • 出雲大社の正式な参拝ルートや4つの鳥居の特徴と意味
  • 全国的にも珍しい下り参道の理由や祓社での重要なお清めの手順
  • 本殿周辺にある摂社や末社の位置関係とそれぞれの御祭神・御由緒
  • 神楽殿の日本最大級の大注連縄や日本一の国旗などの必見スポット
目次

出雲大社の回り方と境内までのルート

大国主大神と幸魂・奇魂の像(2018年管理人撮影)
  • 出雲大社の由緒と歴史を知る
  • 宇迦橋の大鳥居からスタート
  • 神門通りを歩いて勢溜へ
  • 勢溜の大鳥居をくぐり境内へ
  • 参道が下っている珍しい下り宮
  • 松の参道の鳥居と神苑の風景
  • 出雲大社では手を4回叩くのはなぜ?

出雲大社の由緒と歴史を知る

出雲大社(正式名称:いづもおおやしろ)は、島根県出雲市大社町に鎮座する、日本を代表する古社の一つです。主祭神として、縁結びの神様、福の神として広く親しまれている大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をお祀りしています。

大国主大神は「だいこくさま」とも呼ばれ、因幡の白兎神話などで知られる慈愛深い神様ですが、その神格は単なる恋愛成就の神にとどまらず、人々が幸福になるための「むすび(結び)」の力を司る偉大な存在とされています。

日本最古の歴史書とされる『古事記』や『日本書紀』には、出雲大社の創建にまつわる壮大な「国譲り神話」が記されています。

神話によれば、大国主大神は葦原中国(あしはらのなかつくに=現在の日本)を平定し、国づくりを行いました。その後、高天原(たかまがはら)を治める天照大御神(あまてらすおおみかみ)から国を譲るよう求められ、大国主大神はその求めに応じて国土を奉還(国譲り)しました。

この際、大国主大神は「私の住まう宮殿を、天皇のお住まいのように壮大に造っていただけるならば、私は隠退して幽界(目に見えない神々の世界)を治めましょう」と条件を出しました。これを受けて造営されたのが「天日隅宮(あめのひすみのみや)」、すなわち現在の出雲大社の始まりであると伝えられています。

古代においては「杵築大社(きずきたいしゃ)」と呼ばれており、その社殿の大きさは現代の想像を絶するものであったと言われています。

平安時代中期の貴族の子供たちが口ずさんだ『口遊(くちずさみ)』という数え歌には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という言葉が残されています。

これは当時の日本の大型建造物の高さを順位付けしたもので、「雲太」は出雲大社、「和二」は奈良の東大寺大仏殿、「京三」は京都御所の大極殿を指しています。

つまり、当時の出雲大社は奈良の大仏殿(高さ約45m以上)をも凌ぐ、日本一高い木造建築物であったと考えられているのです。社伝によれば、太古の昔には高さが約96メートル、平安時代には約48メートルもあったとされています。

現在の本殿は、1744年(延享元年)に造営されたもので、高さは約24メートルあります。これは日本の神社建築様式の一つである「大社造(たいしゃづくり)」を代表するものであり、1952年(昭和27年)には国宝に指定されました。

出雲大社では、約60年に一度、社殿の修造や屋根の葺き替えを行う「遷宮(せんぐう)」という神事が行われてきました。直近では平成20年から平成31年にかけて「平成の大遷宮」が執り行われ、御本殿をはじめとする諸社殿が美しく蘇りました。

このように、出雲大社は数千年の歴史の中で、神話の時代から現代に至るまで、人々の厚い信仰によって守り継がれてきた聖地なのです。

御祭神の別名について

大国主大神には多くの別名があり、その性格の多面性を表しています。

  • 大穴持神(おおなもちのかみ)
  • 八千矛神(やちほこのかみ)
  • 葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)
  • 所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)

などがあり、それぞれの名前には国づくりや武勇、医薬などの功績が込められています。

(出典:出雲大社公式サイト『出雲大社と大国主大神』

宇迦橋の大鳥居からスタート

出雲大社への参拝ルートを考える際、多くの参拝者が神門通りにある「勢溜(せいだまり)の大鳥居」からスタートするのが正式とされることが多いようです。

今回はせっかくなので一の鳥居である「宇迦橋(うがばし)の大鳥居」から歩いてみることにしました。近くの無料駐車場に車をとめ、朝7時15分頃出発しました。

宇迦橋と宇迦橋の大鳥居
宇迦橋と宇迦橋の大鳥居(2018年管理人撮影)

宇迦橋の大鳥居は、1915年(大正4年)に大正天皇の御即位の大典を記念して建立されました。寄進者は北九州市小倉の篤志家である小林徳一郎氏で、彼は出雲大社への深い崇敬の念から、巨額の私財を投じてこの大鳥居を奉納しました。

鉄筋コンクリート造りの明神鳥居(みょうじんとりい)でその大きさは圧巻です。高さは23メートル、柱の幅は14メートルにも及び、建立当時は東洋一の大きさを誇ったとも言われています。

特筆すべきは中央に掲げられた扁額(へんがく)の大きさで、畳にして約6畳分(3.6m×2.7m)もの巨大さがあります。「出雲大社」の文字は力強く、参拝者を圧倒する存在感を放っています。

宇迦橋の大鳥居
宇迦橋の大鳥居(2018年管理人撮影)

かつて、1912年(明治45年)に国鉄大社線が開通し、旧大社駅が参拝の玄関口となっていた時代、駅から降り立った人々はこの宇迦橋を渡り、この大鳥居をくぐって神域へと歩を進めました。

宇迦橋は、出雲大社の正面玄関である「神門通り」への入り口にかかる橋であり、参道の軸線をまっすぐ南へ伸ばした延長線上に位置しています。そのため、橋は川に対して斜めに架けられており、神様への道を一直線に繋ごうとした先人たちのこだわりが見て取れます。

この大鳥居は2015年に国の登録有形文化財にも指定されています。

時間に余裕がある方は、ぜひこの「第一の鳥居」から、古の参拝者と同じ道のりを歩んでみてはいかがでしょうか。

※ 2025年12月に新しい宇迦橋が開通し、記事の写真とは景観が変わっているかもしれません。

神門通りを歩いて勢溜へ

宇迦橋の大鳥居をくぐり抜けると、出雲大社の正門にあたる勢溜(せいだまり)まで続く約700メートルの表参道、神門通り(しんもんどおり)が広がっています。この通りは、かつて出雲大社の門前町として栄え、多くの参拝者や地元の人々で行き交う賑やかな場所でした。

一時期は観光客の減少により静かな通りとなっていましたが、近年の再開発や「平成の大遷宮」を機に、風情ある石畳の道へと整備され、おしゃれなカフェや土産物店、老舗の旅館などが立ち並ぶ人気の観光スポットとして見事に復活を遂げました。

神門通りを歩く楽しみの一つは、出雲ならではのグルメやお土産探しです。特に有名なのが「出雲ぜんざい」です。実は、出雲地方は「ぜんざい発祥の地」として知られています。旧暦の10月に行われる神在祭(かみありさい)では、全国から集まる神々に「神在餅(じんざいもち)」が振る舞われました。

この「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」となり、さらに京都へ伝わって「ぜんざい」になったという説が有力視されています。通りには出雲ぜんざい学会のアンテナショップをはじめ、多くの甘味処があり、参拝前のエネルギーチャージや、参拝後の休憩に最適です。

出雲大社での参拝をすべて終えた後、車に戻る途中に寄ってエネルギーを補給しました。

出雲ぜんざい学会1号店
出雲ぜんざい学会1号店
出雲ぜんざい

また、通りの中ほどには一畑電車の「出雲大社前駅」があります。1930年(昭和5年)に開業したこの駅舎は、西洋建築の影響を受けたモダンなデザインが特徴で、平成8年(1996年)に国の登録有形文化財に指定されています。

ステンドグラスが美しいドーム型の天井やレトロな外観は必見で、鉄道ファンならずとも立ち寄りたくなるスポットです。駅構内には、かつて活躍した日本最古級の電車「デハニ50形」も展示されており、自由に見学することができます。

神門通りを勢溜に向かって歩いていくと、徐々に道が上り坂になっていることに気づくでしょう。これは、勢溜周辺がかつて砂丘地帯であった名残です。

左右に並ぶお店を楽しみながら、徐々に近づいてくる出雲大社の森に向かって歩を進める時間は、日常から神聖な非日常へと心を切り替えるための大切なプロセスでもあります。参道の賑わいを感じつつ、心身を整えて正門を目指しましょう。

勢溜の大鳥居をくぐり境内へ

宇迦橋の大鳥居からゆっくり歩いておよそ10分。神門通りの緩やかな坂を登りきった場所にそびえ立つのが、出雲大社の正門にあたる勢溜(せいだまり)の大鳥居です。

勢溜の大鳥居
神門通りの終点から(2018年管理人撮影)

ここが実質的な境内の入り口とされており、4つある鳥居のうちの「二の鳥居」に数えられます。多くの観光客や参拝者は、ここをスタート地点として認識していることが多く、記念撮影のスポットとしても大変人気があります。

「勢溜(せいだまり)」という少し変わった名前には、歴史的な由来があります。江戸時代、この場所には芝居小屋や茶屋があり、人の勢いが溜まる場所、つまり多くの人々が集まり賑わう広場であったことから、このように呼ばれるようになったと言われています。

また、軍勢が集まる場所という意味合いもあったとされ、古くから人々の往来の中心地であったことがうかがえます。現在でも、駅伝の発着点となるなど、人が集まる場所としての機能は変わっていません。

勢溜の大鳥居と社号標
勢溜の大鳥居と社号標(2018年管理人撮影)

現在の勢溜の鳥居は、2018年(平成30年)10月に建て替えられた新しいものです。以前の鳥居は木造でしたが、老朽化が進んだため、「平成の大遷宮」記念事業の一環として再建されました。(上の写真は建替前のものです)

新しい鳥居には、最新の技術である「耐候性鋼(コルテン鋼)」という特殊な鋼材が使用されています。この素材は、表面に緻密な錆の保護層を形成することで内部の腐食を防ぐ性質を持っており、その耐久性は極めて高いとされています。

見た目は落ち着いた茶褐色をしており、周囲の松林や神聖な景観に自然と溶け込むように配慮されています。高さは8.8メートル、幅は12メートルあり、現代の技術と伝統的な形状(明神鳥居)が融合した美しい鳥居です。

鳥居をくぐり抜けることは、俗世と神域を隔てる結界を越えることを意味します。ここで一度立ち止まり、帽子を取り、軽く一礼をしてから境内へと足を踏み入れましょう。

参拝のポイント

鳥居をくぐるときは、中央(正中)は神様の通り道とされるため避け、左右の端を歩くようにしましょう。また、右側を通る場合は「右足」から、左側を通る場合は「左足」から入るとよいとされています。

参道が下っている珍しい下り宮

勢溜の鳥居をくぐると、目の前には緩やかな下り坂の参道が伸びています。

下り坂の参道
下り坂の参道(2018年管理人撮影)

通常、神社といえば階段や坂道を「登って」高い場所に鎮座する社殿を目指す形式が一般的ですが、出雲大社のように参道が「下って」いく構造は「下り宮(くだりみや)」と呼ばれ、全国の神社の中でも非常に珍しい特徴の一つです。

豆知識 【三大下り宮】

なぜ出雲大社の参道は下り坂になっているのでしょうか。これにはいくつかの説が存在します。

一つは、参拝者が神様に対して「へりくだる」姿勢を自然と取るように設計されたという説。物理的に下っていくことで、謙虚な心持ちで神前に進むことを促していると言われています。

もう一つは、過去の地形的な要因です。かつてこの地域は砂丘地帯であり、勢溜が高い位置にあった一方で、本殿が建てられた場所はそれよりも低い平地であったため、自然と下り参道になったと考えられています。

また、大国主大神が幽界(死後の世界や目に見えない世界)を司る神であることから、地下や黄泉の国へ近づくイメージとして下り参道になったという神秘的な解釈もあります。

祓社 — 超重要ポイント —

下り参道を少し進むと、右手に小さなお社が見えてきます。これが祓社(はらえのやしろ)です。

参道から見る祓社
参道から見る祓社(2018年管理人撮影)

多くの参拝者がそのまま通り過ぎてしまいがちな場所ですが、実はここが出雲大社参拝においてとっても重要な最初のステップとなります。

祓社には、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)という「祓戸四柱の神(はらえどよはしらのかみ)」が祀られています。

これらの神々は、私たちが日々の生活の中で知らず知らずのうちに犯してしまった罪や、心身に付着した穢れ(けがれ)を洗い流し、清めてくださる役割を持っています。

神道において「清浄」は最も重視される概念であり、穢れたままの状態では神様の御神徳を十分に受け取ることができないとされています。

そのため、本殿に向かう前に必ずこの祓社に立ち寄り、二礼四拍手一礼をして、「心身を清めてください」と祈念することが正しい参拝作法とされています。

ここで心の垢を落とし、真っさらな状態で神域の奥へと進む準備を整えましょう。

祓社
祓社(2018年管理人撮影)

祓橋(はらえばし)

祓社でのお参りを済ませ、さらに参道を下りきったところには、境内を流れる清流「素鵞川(そががわ)」にかかる太鼓橋、祓橋(はらえばし)があります。この橋は、俗界と神域を分ける境界線のような役割を果たしています。

祓橋
祓橋(2018年管理人撮影)

古来、川や海などの水辺は禊(みそぎ)を行う場所とされてきました。この祓橋を渡るという行為自体が、一種の禊としての意味を持っています。

祓社で神様の力によって穢れを祓い、さらに祓橋で清らかな川を渡ることによって、二重に心身を清めることになります。橋の周辺は緑に囲まれ、川のせせらぎが聞こえる清々しい場所です。

橋を渡り終えると、いよいよ出雲大社の核心部へと近づいていくことになります。

松の参道の鳥居と神苑の風景

祓橋を渡ると正面に見えてくるのが、鉄製の「三の鳥居」とも呼ばれる松の参道の鳥居です。

勢溜の大鳥居からは5分ほど。

松の参道の鳥居
松の参道の鳥居(2018年管理人撮影)

この鳥居の先には、樹齢数百年を数える見事な松並木が続いています。この松並木は「日本の名松100選」にも選ばれる美しい景観を誇り、参道の神聖な雰囲気を一層引き立てています。

かつて、この松並木の中央の道は、皇族や勅使(天皇の使い)、あるいは高貴な身分の者だけが通ることを許された特別な道でした。また、神様ご自身が通る道とも考えられています。

現在では、貴重な松の根を保護するという観点から、中央の道は通行禁止となっており、参拝者は松並木の両脇にある舗装された道を歩くことになっています。左右どちらの道を通っても問題ありませんが、松の幹ごしに見える参道の奥行きを楽しみながら歩くことができます。

神苑(しんえん)

松の参道の両脇に広がる緑豊かなエリアは「神苑」と呼ばれています。美しく整備された芝生や木々が広がり、参拝者の憩いの場となっています。

真ん中は通れない
松の参道 東側(2018年管理人撮影)

特に西側の神苑(参道左手)には、出雲神話「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」にちなんで、可愛らしいウサギの像が数多く設置されています。

これらのウサギ像は、祈りを捧げる姿や本を読む姿、ハートを持った姿など、一つ一つポーズや表情が異なり、見ているだけで心が和みます。

現在、境内全体で数十体以上のウサギ像が設置されており、これらを探して回るのも出雲大社参拝の楽しみの一つとなっています。特に大国主大神に助けられた白兎は、縁結びの象徴としても愛されています。

大国主命とウサギの像
御慈愛の御神像(2018年管理人撮影)

手水舎(ちょうずや)

松の参道を抜け、四の鳥居(銅の鳥居)の手前左側には手水舎があります。

神社参拝において、神様の御前に進む前に手と口を水で清める儀式を行う場所です。祓社や祓橋ですでに精神的な穢れは祓われていますが、ここで改めて物理的かつ儀式的な清めを行います。

手水の作法

出雲大社での手水の作法は、他の神社での作法と変わりはありません。簡単にまとめると次のようになります。

  1. 右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、水を汲んで左手にかけて洗います。
  2. 柄杓を左手に持ち替え、同様に右手を洗います。
  3. 再び柄杓を右手に持ち、左手の掌(てのひら)に水を受け、その水で口をすすぎます(柄杓に直接口をつけてはいけません)。
  4. 口をつけた左手をもう一度洗います。
  5. 最後に柄杓を立てて、残った水で柄(持ち手)の部分を洗い流し、元の位置に戻します。

※感染症対策などで柄杓が撤去され、流水式になっている場合もあります。その際は現地の案内に従ってください。

出雲大社では手を4回叩くのはなぜ?

一般的な神社での参拝作法は「2礼2拍手1礼(2回お辞儀をし、2回手を叩き、最後に1回お辞儀をする)」が基本ですが、出雲大社では「2礼4拍手1礼」が正式な作法とされています。これは出雲大社独自の伝統であり、初めて参拝する方が最も戸惑うポイントの一つかもしれません。

なぜ出雲大社では手を4回叩くのでしょうか。これにはいくつかの説がありますが、最も広く知られているのは「しあわせ(4合わせ)」に通じるという説です。4回手を合わせることで、神様と人、人と人とのご縁を結び、幸せを呼び込むという意味が込められていると言われています。

また、より儀礼的な意味合いとして、「四季(春夏秋冬)」を表し、一年を通じての繁栄や五穀豊穣を祈るという意味や、東西南北の「四方」を守る神々に敬意を表するという説もあります。

さらに、出雲大社の最も重要な祭典である5月14日の例祭(勅祭)では、神職は「8拍手」を行っています。8は古来より「無限」や「数多いこと(八百万など)」を象徴する聖なる数字です。

日常の参拝における4拍手は、この8拍手の半分(半開)として、神職以外の人間が神様に対して行う際の礼節として定着したとも考えられています。

境内にある摂社や末社においても、基本的にはこの「2礼4拍手1礼」の作法で参拝します。心を込めて4回手を叩き、大国主大神の広大な御神徳を授かれるようお祈りしましょう。

出雲大社境内の回り方とルート詳細

出雲大社 本殿
出雲大社 本殿(2018年管理人撮影)
  • 重要文化財の銅の鳥居
  • 拝殿で参拝し八足門を見学
  • 本殿を囲む摂社・末社を巡る
  • 神楽殿で国旗と大注連縄を見る
  • 出雲大社の御朱印

重要文化財の銅の鳥居

手水舎で身を清め、いよいよ神域の中心部へと入る直前に立つのが、四の鳥居にあたる銅の鳥居(あかがねのとりい)です。

境内入り口と銅鳥居
境内入り口と銅鳥居(2018年管理人撮影)

この鳥居は1666年(寛文6年)に、長州藩(現在の山口県)の第2代藩主である毛利綱広によって寄進されました。毛利家は出雲大社と深い関わりを持っており、この鳥居もその崇敬の証として奉納されたものです。

銅製の鳥居は全国的にも珍しく、この鳥居は現存するものとしては日本最古級の古さを誇り、平成16年(2004年)国の重要文化財に指定されています。

高さは約6メートルあり、青銅特有の緑青(ろくしょう)を帯びた重厚な色合いが、周囲の木々の緑や社殿の厳かな雰囲気と調和しています。

鳥居の柱の足元をよく見ると、中央部分が少し膨らんだ形状をしていることに気づくかもしれません。これは古代ギリシャ建築に見られる「エンタシス」に似た技法とも言われ、視覚的な安定感と美しさを与えています。

銅の鳥居
銅の鳥居

この鳥居の柱には「素戔嗚尊者雲陽大社神也(すさのおのみことはうんようたいしゃのかみなり)」という銘文が刻まれています。

「雲陽大社」とは出雲大社のことを指しますが、ここで興味深いのは、現在の主祭神である大国主大神ではなく、その親神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の名が記されている点です。

これは、江戸時代の一時期において、出雲大社の祭神に関する解釈が現在とは異なっていたことや、神仏習合の影響など、歴史的な変遷を物語る貴重な証拠となっています。

この鳥居をくぐるときは、一礼をしてから、その歴史の重みを感じつつ拝殿へと向かいましょう。

豆知識「銅鳥居を触りながら回ると金回りがよくなる」は本当?

参道を抜けると、緑青色に輝く銅鳥居があります。銅製の鳥居であるが故に、いつの頃からかこの銅鳥居を触りながら回ると「金まわりが良くなる」とガイドの方の案内を聞く事があります。これまた同様におもしろおかしく案内しようとする創作です。出雲大社に古からある信仰ではありません。(出雲大社公式サイトから引用)

拝殿で参拝し八足門を見学

銅の鳥居をくぐり抜けると、正面に堂々とした姿を見せるのが拝殿(はいでん)です。拝殿は、参拝者が神様に対して祈りを捧げるための建物。

出雲大社 拝殿
出雲大社 拝殿(2018年管理人撮影)

現在の建物は1953年(昭和28年)の火災で焼失した後、1959年(昭和34年)に再建されたものです。設計は神社建築の権威である福山敏男博士によるもので、戦後の木造神社建築としては屈指の規模を誇ります。総ヒノキ造りの大社造と切妻造の折衷様式で、屋根は銅板葺きです。

拝殿の正面には大きな注連縄(しめなわ)が架かっています。一般的に出雲大社の注連縄としてメディアで紹介される巨大なものは神楽殿のものですが、この拝殿の注連縄も長さ約6.5メートル、重さ約1トンあり、十分な迫力があります。

まずはここで、出雲大社独特の「2礼4拍手1礼」の作法で参拝を行います。

拝殿での参拝を終えたら、建物の裏手(北側)へと回り込みます。そこには、国宝である本殿の正面に位置する八足門(やつあしもん)があります。この門は1667年(寛文7年)の造営時に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

出雲大社 八足門(2018年管理人撮影)

「八足」という名前は、8本の柱で屋根を支える構造に由来すると思われがちですが、実際には門の形式を表す言葉とも言われています。

八足門は、美しい彫刻が見どころの一つです。特に門の欄間(らんま)や蛙股(かえるまた)には、流水や紅葉、桜などの優美な彫刻が施されており、江戸時代初期の建築美を今に伝えています。通常、一般の参拝者が本殿に最も近づけるのはこの八足門の前までです。

ここから門越しに、奥に鎮座する本殿の屋根や千木(ちぎ=屋根の両端で交差している木)を仰ぎ見ながら、再度参拝を行います。お正月三が日などの特別な期間には門が開かれ、さらに奥の楼門前まで入ることができる場合もあります。

八足門の手前の地面には、赤い二重丸のような印が3つ描かれていることに気づくでしょう。これは、かつてこの場所に建っていた古代の巨大神殿の柱(宇豆柱)が発掘された場所を示しています。

古代の本殿は高さ48メートルもあり、3本の巨木を束ねて1本の柱としていたことが考古学的にも証明されました。足元の印を見ながら、天空にそびえていた古代神殿の姿を想像してみてください。

建物名建築年代指定区分特徴
本殿1744年国宝高さ24mの大社造。日本最古の神社建築様式。
拝殿1959年登録有形文化財戦後再建。総ヒノキ造りの大建築。
八足門1667年重要文化財本殿正面の門。精巧な彫刻が特徴。

本殿を囲む摂社・末社を巡る

八足門での参拝を済ませたら、本殿を囲む瑞垣(みずがき)の外側を反時計回りに一周しながら、点在する摂社(せっしゃ)や末社(まっしゃ)を巡るのが、より丁寧な参拝ルートです。これらのお社には、大国主大神とゆかりの深い神々が祀られており、一つ一つに物語があります。

ここでは見える順番にそれぞれのお社、建物についての解説をします。

東十九社(ひがしじゅうくしゃ)

東十九社
東十九社(2018年管理人撮影)

八足門に向かって右側(東側)に進むと、最初に南北に細長く伸びる社殿が見えます。これが東十九社です。

対になる西側の西十九社とともに、旧暦10月の神在祭(かみありさい)の期間中、全国から集まった八百万(やおよろず)の神々が宿泊される「神様のホテル」のような場所です。

普段は全国の神々の遙拝所として、また神在月以外は扉が閉ざされていますが、神在祭の期間中だけは全ての扉が開かれ、独特の雰囲気を醸し出します。

釜社(かまのやしろ)

釜社
釜社(2018年管理人撮影)

東十九社のさらに奥、回廊の外側にひっそりとあるのが釜社です。

ここには宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)が祀られています。お稲荷さんとしても知られる穀物や食物の神様であり、出雲大社の台所を守る神としての性格も持っていると考えられます。

御向社と天前社(瑞垣内)

瑞垣越しに本殿の方を見ると、その手前に小さなお社の屋根が2つ見ることができます。本殿の近くにあるのが御向社(みむかいのやしろ)その手前にあるのが天前社(あまさきのやしろ)になります。

本殿と御向社/天前社
左から本殿・御向社・天前社(2018年管理人撮影)

【御向社】

正式には「大神大后神社(おおかみおおきさきのかみのやしろ)」といい、大国主大神の正妻である須勢理比売命(すせりひめのみこと)が祀られています。

彼女は素戔嗚尊の娘であり、大国主大神が試練を受けた際に知恵と勇気で助けた女神です。夫婦仲睦まじく、大国主大神の方を向いて(西を向いて)鎮座されていることからこの名がついたとも言われています。

【天前社】

正式には「神魂伊能知比売神社(かみむすびいのちひめのかみのやしろ)」といい、蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)という二柱の女神が祀られています。

古事記の神話において、大国主大神が兄神たちの計略によって大火傷を負い、命を落としかけた際に、天界から遣わされて治療を行い、蘇生させた命の恩人とも言える神々です。


瑞垣内の社殿は、西側にある筑紫社含めて屋根しか見えませんが、主祭神・大国主大神に関わりの深い神様が祀られています。記紀神話をより強く感じるために、瑞垣内の社殿にもぜひ目を向けてください。

文庫(ふみぐら)

文庫
文庫(2018年管理人撮影)

境内の北東隅には、文庫と呼ばれる建物があります。これは1667年の寛文の造営時に建てられたもので、重要文化財に指定されています。

かつては書物などを保管する図書館のような役割を果たしていました。質素ながらも歴史を感じさせる佇まいです。

素鵞社(そがのやしろ)

本殿の真後ろ、境内の最も北側の一段高い場所に鎮座するのが素鵞社です。

ここには大国主大神の親神(義理の父であり祖先神)である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られています。ヤマタノオロチ退治で有名な英雄神であり、その強大な力から、境内でも屈指のパワースポットとして知られています。

素鵞社
素鵞社(2018年管理人撮影)

素鵞社には特別な参拝方法があります。

まず、参拝前に出雲大社の西方にある「稲佐の浜」へ行き、そこの砂を頂いてきます。そして素鵞社に参拝した後、社殿の床下にある木箱に持参した浜の砂を納め、代わりに元から入っている「お清めの砂(御砂)」を頂いて帰るのです。

この御砂は、家の敷地に撒くと厄除けになり、田畑に撒くと作物が育つと言われています。また、社殿の裏手には岩肌が露出しており、これに触れることで神様の力を直接感じることができるとも言われています。

彰古館(しょうこかん)

彰古館
彰古館(2018年管理人撮影)

素鵞社の左手(西側)には、1914年(大正3年)に建てられた木造2階建ての建物、彰古館があります。

西側遙拝所 — 重要ポイント —

本殿の西側、塀のすぐそばに小さな拝礼スペースが設けられています。これが西側遙拝所です。

西側遙拝所
西側遙拝所(2018年管理人撮影)

通常、神社の御神体は正面(南)を向いていますが、出雲大社の大国主大神は、本殿の中で「西」を向いて鎮座されています。これには「西にある海(稲佐の浜)の方角を見守っている」「大陸の方角を意識している」など諸説ありますが、正確な理由は定かではありません。

いずれにせよ、正面の八足門から拝むと神様の横顔を拝むことになりますが、この西側遙拝所から拝むことで、神様の「正面」から対面してお祈りができると言われています。

そのため、知る人ぞ知る重要な参拝ポイントとなっています。

筑紫社(瑞垣内)

筑紫社と本殿
左が筑紫社 右は本殿(2018年管理人撮影)

瑞垣内で本殿の西側に屋根が見えるのが筑紫社です。正式には「神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)」といい、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)が祀られています。

彼女は宗像三女神の一柱であり、福岡県の宗像大社に祀られている神様です。大国主大神との間には子供ももうけており、海上交通の安全などを守る神様です。

宝庫(ほうこ)

西側遙拝所の近くに建つ南向きで校倉造(あぜくらづくり)のような外観を持つ建物。お社に見えますが宝庫

こちらも寛文の造営時の建物と考えられ、重要文化財です。神社の貴重な宝物を保管するための堅牢な建物です。

氏社(うじのやしろ)

本殿の西側、瑞垣の外には、南北に2つ並んで鎮座する氏社(うじのやしろ)があります。どちらも重要文化財に指定されています。

氏社 南
氏社(南)
氏社 北
氏社(北)

北側(向かって右側)に位置するのが、天照大御神の第二子であり、出雲国造(いずもこくそう=出雲大社の宮司家)の始祖とされる天穂日命(あめのほひのみこと)を祀るお社です。天穂日命は、大国主大神の祭祀を司る役割を担い、その子孫が出雲大社の宮司として連綿と受け継がれてきました。

南側(向かって左側)に位置するお社には、天穂日命から数えて17代目の子孫である宮向宿禰(みやむきのすくね)が祀られています。彼は允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御代に、初めて「出雲臣(いずものおみ)」という姓(かばね)を賜った人物とされています。

氏社は、出雲大社を代々守り続けてきた宮司家の祖先神を祀る重要な場所であり、その歴史の深さを感じさせるスポットです。

西十九社(にしじゅうくしゃ)

境内の西側には、東十九社と対になる西十九社があります。

西十九社

役割は東と同じく、神在祭における神々の宿舎です。東西の十九社を合わせると、全国の神々を受け入れるための部屋がずらりと並んでいることになります。普段は扉が閉まっていますが、静謐な空気が漂っています。

これで本殿を囲む瑞垣を一周したことになります。

(出典:出雲大社公式サイト『境内案内』

神楽殿で国旗と大注連縄を見る

境内の摂社・末社巡りを終えたら、西側の出口から一旦外に出て、川を渡った隣の敷地にある神楽殿(かぐらでん)へと向かいましょう。

神楽殿
神楽殿(2018年管理人撮影)

神楽殿は、本来は千家家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されていた場所ですが、現在では御祈祷や結婚式などが行われる重要な施設となっています。

神楽殿の最大の見どころは、何と言っても正面に架けられた巨大な大注連縄(おおしめなわ)です。

ガイドブックやテレビなどで「出雲大社」として紹介される写真の多くは、実は本殿や拝殿ではなく、この神楽殿の大注連縄であることが多いです。

その大きさは長さ約13.6メートル、重さは約5.2トンもあり、日本最大級のスケールを誇ります。上の写真には赤い袴を身につけた巫女さんが立っていますが、それと比較すると巨大さがよくわかります。

この注連縄は島根県飯南町の注連縄企業組合によって数年ごとに新しく作られ、奉納されています。

また、出雲大社の注連縄には大きな特徴があります。

一般的な神社では、神様に向かって右側が「上位」とされ、綯(な)い始めの太い方が右側にきます。しかし、出雲大社ではその逆で、向かって左側が上位とされ、左側が太く、右側が細くなっています。

これは大国主大神の鎮まる出雲大社独自の習わしによるものです。大注連縄の下に立つと、その圧倒的な迫力と、編み込まれた藁の造形美に息を呑むことでしょう。

さらに、神楽殿の前の広場には、高さ47メートルもの国旗掲揚塔がそびえ立っています。ここに掲げられている国旗(日の丸)は、畳75畳分(約13.6m×9m)という、これまた日本一の大きさを誇るものです。重さも約50キログラムあり、風になびくその姿は雄大そのものです。晴れた日には青空に巨大な日の丸がはためき、大注連縄とともに絶好の撮影スポットとなります。

相撲の始祖を祀る野見宿禰社(境内末社)

(出雲大社境内から一の鳥居の駐車場に戻る前に)

祓橋の西側に少し進んだ場所にポツンと鎮座しているのが野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)。出雲大社の境内摂社でありますが、管理人の参拝順の関係でここでの紹介になります。

ご祭神には出雲出身の英雄である野見宿禰(のみのすくね)がお祀りされています。野見宿禰は、第13代出雲國造である襲髄命(かねすねのみこと)の別称とも伝えられており、出雲大社と非常に縁の深い人物です。

野見宿禰社
野見宿禰社(2018年管理人撮影)

『日本書紀』の記述によると、垂仁天皇の御代、大和国(現在の奈良県)に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下無双の力自慢がいました。天皇が「この者に並ぶ者はいないか」と問うたところ、出雲国に野見宿禰という勇者がいるとの進言があり、召喚されることになりました。

二人は天皇の御前で力比べ(相撲の起源とされる捔力)を行い、野見宿禰が見事に勝利を収めたとされています。この伝承から、野見宿禰は国技である相撲の始祖として崇められるようになりました。

社の前には相撲のまわしをつけた小さなウサギさんが立っています。

まわしをつけたウサギの像
まわしをつけたウサギの像(2018年管理人撮影)

また、野見宿禰の功績は相撲だけにとどまりません。彼はその後も朝廷に仕え、それまで行われていた貴人の葬儀における殉死(生き埋め)の風習を改め、代わりに土で作った人形や馬などの「埴輪(はにわ)」を埋めることを提案したといわれています。

この功績により、土器作りを司る「土部職(はじのつかさ)」の姓を賜り、文武両道の賢人としても知られるようになりました。


社殿はこじんまりとしていますが、その前には小さな土俵があるなど、相撲との関わりを感じさせます。出雲大社を訪れた際には、その「力」と「知恵」のパワーをあやかりたい方は、こちらで参拝するのもいいかもしれません。

出雲大社の御朱印

右側に「参拝」、左側に参拝日の墨書き。真ん中に「出雲大社」の朱印。シンプルなデザインですが、すばらしい筆跡に感動です。

今回は御朱印帳に記帳していただきましたが、書き置きでの対応も可能だそうです。

出雲大社 御朱印

初穂料は「お気持ちをお納めください」とのことで、こちらで決めるようになっていました。1コイン納めさせていただきました。

受付時間は7時から18時まで。マナーを守っていただきましょう。

なお、本殿の他に神楽殿の御朱印もあるそうですが、今回はいただきませんでした。

まとめ:出雲大社の回り方とルート

一の鳥居(宇迦橋の鳥居)から本殿まで、そして境内の瑞垣を一周して末社も一通り廻ることができました。ポイントをまとめました。

  • 出雲大社は島根県に鎮座し縁結びの神・大国主大神を祀る古社である
  • 正式な参拝ルートは南端の宇迦橋の大鳥居から北へ一直線に進むと良い
  • 神門通りはぜんざい発祥の地で、参拝前後の食事や土産探しに最適だ
  • 勢溜の鳥居をくぐると参道が下り坂になる珍しい下り宮の構造がある
  • 参拝前に祓社へ立ち寄り、日々の罪や穢れを祓い清めるのが作法だ
  • 祓社参拝後は素鵞川にかかる祓橋を渡り、さらに心身を清めて進む
  • 松並木を進み手水舎で清めた後、重要文化財の銅の鳥居をくぐり拝殿へ
  • 出雲大社の参拝作法は一般的とは異なり2礼4拍手1礼が正式である
  • 拝殿参拝後は本殿正面の八足門へ進み、そこから御本殿に向かい参拝する
  • 八足門参拝後は瑞垣を反時計回りに一周し、摂社や末社を巡ると良い
  • 本殿真裏の素鵞社は素戔嗚尊を祀る強力なパワースポットである
  • 御神座は西向きのため、西側遙拝所からは神様の正面でお祈りができる
  • 参拝後は神楽殿へ向かい、日本最大級の大注連縄や国旗を見学しよう
  • 広い境内を巡るには、1時間から1時間半ほど確保すると焦らず楽しめる
  • 歴史や由緒を知ることで、単なる観光以上の深い感動とご縁を感じられる

今回の出雲大社参拝はこれで終わりではありません。

出雲大社には境内だけでなく境外にもいくつか摂社が鎮座しています。それらをすべて回るつもりで朝早くから行動をはじめました。また、この記事の中で紹介できなかった境内末社が一社あります。併せて別記事「出雲大社境外摂社参拝の記録(仮)」のなかで触れたいと思います。

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